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2012年 04月 07日
先週末、末期ガンだった義父が亡くなりました。
病気が見つかったのは2年前の夏。 健康診断で体重が激減しているのがきかっけで、 そのときには既に手術もできない状態でした。 義父は遠く九州に1人で住んでいて、 仕事上、夫が頻繁に会いに行くのは難しいし、 私が小さい子どもたちを連れて通うのも現実的でない。 義父に東京に来てもらっていっしょに暮そう。 今まで孫ともあまり会えなかったので、 これからは側にいさせてあげて、生きるパワーを取り戻して欲しい。 夫は一人っ子だし、 息子夫婦としてできる限りのことをしてあげたい。 考え抜いた末に辿り着いた決断でした。 すぐに家族で九州へ飛び、説得を試みましたが 空港から一緒の飛行機に乗って 東京にやってくるはずだった義父は、 地元の病院で抗がん剤治療を始めました。 帰省中に何度も話し合いました。 義父と夫の親子で。 主治医を交えて。 近所に住む義父の兄姉を呼んで。 義父を東京で迎え入れる準備は整っていました。 夫は周りのサポートを受けながら東京の病院を調べ上げ、 すぐに治療を始められる予約もしていたし、 帰りの航空券を義父の分も取っていました。 私も東京を出発前に部屋の模様替えを済ませていたし、 今後のことを頭の中でシミュレーションしたりしていました。 それでも、義父の決断は最後まで 地元に残る、でした。 余命について聞いても、 その意志は変わりませんでした。 義父の家で過ごしていた時、 ちょうどTVのニュース番組で特集していた 韓国の"ウェル・ダイイング”(英語ではDying Well)。 品格ある死、幸せな最期について学び、準備することなのだそうです。 TVで紹介されたのは 韓国の病院内に設置された葬儀場や生前遺言についてでしたが、 その内容は別として、 義父の決断を聞いたとき、 この"ウェル・ダイイング”というその言葉が頭をよぎりました。 義父が選んだのは 私たちが東京で用意した最先端医療や緩和ケアでも、 孫と過ごす時間でもなく、 生まれ故郷での今までどおりの生活。 病気や治療について私たちが夢中で得た知識は もはやとっくに義父を追い越してしまっていて、 田舎町の病院で受けられるものの限界を知ってしまっていました。 でも義父が望んでいるのはそんなことではなく、 飼い犬や庭の盆栽の世話だったり、 お見舞いに来てくれる同級生仲間たちとの何気ない会話だったり、 故郷の見慣れた景色でした。 "ウェル・ダイイング”は"ウェル・リビング”。 そんな言葉があるかどうかは知らないけど、 幸せな最期を迎えるということは、 それに向かって幸せに生きようとすることなんだ、 きっとそういうことなんだと思いました。 苦しかったけど、辛かったけど、 本人の意志を尊重するのが一番だというのが 考え抜いた末の私たち夫婦の答えでした。 義父も私たちの強い想いをしっかり受け止めてくれて 「こんなに自分を思ってくれているなんて幸せだ」と 何度も涙を流していました。 気持ちはちゃんと伝わったはず。 そういうわけで、 私たちは東京に戻り 今までどおりの生活をまた始めました。 幸い、義父は11人兄弟(!)の末っ子で すぐ近くに兄や姉が住んでいるので 話し合いの末、交代で世話をしてくれることになりました。 本当にいい人たちで、本人を交えた"家族会議”の時も 冗談を言って笑い合い、全く重い空気にならなりませんでした。 もちろん、症状が悪化したりしたら 私たち家族も駆けつけて 義父の側にいるようにするつもりでした。 「自分で言うのも変ですが、私は同級生の憧れだったんですよ」 と私に打ち明けてくれた義父。 部屋に飾ってあった色紙の"有田の星”という文字を思い出します。 私は自分の地元に対して 義父のような思い入れはないけど、 私が義父だったら同じ選択をしていたかもなあと 空港までの帰り道、車から見える田園風景を見ながらそう思いました。 これが2年前の夏の話です。 それから最期を迎えるまで 義父は生まれ故郷で好きなことをして過ごしてきました。 最期は延命治療もせず、 亡くなる2日前も缶ビールを飲み、タバコを吸い、 東京より一足早いお花見を楽しみました。 そんな義父の話を、 教わったこと、残してくれたことを、 少しずつ伝えていきたいと思います。 あなた自身の、そして身近な人の最期について 考えるきっかけになれば・・・
by tonarinototosan
| 2012-04-07 00:43
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